昭和大学病院への入院中の知らない間に 希望していない薬を投薬され寝たきりとなった。  病院側は対応に問題は無かったと言う。 そこで、病院側の対応を記載し公で問いたい。  かつこの様な理不尽な対応が許される 医療業界の問題を考えるきっかけのにしたいと思いまとめた。


2015年 8月 3日 昭和大学病院へ最初の質問

昭和大学医学部付属病院 総合相談センターへ

前略

突然のお手紙で失礼致します。
私は前原と言います。

昭和大学医学部付属病院(以下 昭医)に、2005 年頃から通院し、
2012 年 9 月に入院、2013 年初めに 他の病院に転院しました。
転院時「寝たきり」の状態でしたが、昭医でそうなった経緯など
医師から納得出来る説明があったと言えず、深い疑念を抱え続けています。
その疑念を明らかにしたいと考えこの手紙を書きました。

以下に、昭医で受けた治療、対応の疑問点を記します。

先に、寝たきりになるまで経過の概略を記します。

2005年頃から、喘息治療で通院。
2012年中頃より、呼吸が苦しくなり、訴える。
( 同年 9月診断により、入院となる。診断名「拡張型心筋症」。
10月1日に退院指示で自宅に戻るも、2日目で意識が朦朧となり、10月3日に再入院。
せん妄状態が続き、意識がはっきりしてきたのは一ヶ月後の11月初め。
その時には、小脳がダメージを受けており自立歩行が出来ない寝たきり状態。
翌年 2013年2月にM共立病院に転院。 その後、退院と入院を繰り返し現在に至る。

この経過で、寝たきりになった原因が大きい疑問点です。
後で書きますが、当時担当医師からは納得出来る説明は有りませんでした。
周辺から得られた情報から、入院中に投薬された「リーマス」が
原因の様だと聞いています。

リーマスとは、ご存知かと思いますが、主に躁鬱病(双極性障害)に
用いられる薬です。
精神科の医師は、私を躁鬱病と診断しリーマスを用いた様です。

しかし、それは診断ミスです。
自分の精神面は、自分が一番良く分かっています。
何故、躁鬱病と診断したのでしょうか?

情報の一つで、精神科の医師は家内に、
「躁状態になると多額の買い物をすることがある。
患者にそう言う所は無かったか?」と聞いたそうです。
家内から見て、私が多額の買い物をしたと思う事例として、
パソコンを4台買った事、IT 関連の本を多数買う事を上げたそうです。

しかし、パソコンは外出用や家内用とか用途別に、3年位かけて
買い足して 4 台になったのであって、一時期に4台を買ったのでは
ありません。

IT 関連本を沢山買った件は、唐突に大量に本を買ったのでは無く、
本来読書好きで、習慣の様に多くの本を読んでいた私が、
理系で技術者であったので、読む本にIT 関連の本が多いのです。

両事例共に、躁鬱病の疑いをかけられるたぐいの行動ではありません。

家内の返事を診断の判断材料にしている様で、危ういと言わざるえません。

逆にどうして参考にしなかったかと疑問に感じる点も多いです。
入院前に、自宅に近いTクリニックに鬱の診察を受けています。
そこから情報を得ていないのでしょうか?
又、昭医に喘息という診断の上、5 年を越える長い間診察、治療を受けています。
その間、鬱で動けないことを何度も伝えても、躁的な話は一度もしていません。
その事を知らないのは不自然です。情報を得ていなかったのでしょうか?

しかし大きい問題は、私が精神科の医師から「問診」を受けていない事です。
私に直接話を聞けば、躁鬱病と診断が下ることは無かったと悔やまれて
仕方がありません。
躁鬱病診断で患者本人に話を聞かずに診断名を下すのは、あり得るのでしょうか?

それ以前に、私は同病院に精神面での治療を依頼していません。
心臓治療の入院です。

私に説明、承諾の無いままに、診断が行われ、病名が決められ、
治療行為がなされています。

私が、昭医で躁鬱病と診断されていたと知ったのは、転院先の
病院での面談時です。
この事実を噛みしめるたびに、やりきれない気持ちになります。

リーマスには以下の注意があります。
禁忌・慎重投与:
1.てんかんなど脳波異常がある,
2.重い心臓疾患がある,
私は「拡張型心筋症」だったので、2に当てはまります。
でリーマスの投薬は禁忌のはずではないでしょうか?

あまりにも、乱暴な対応が続いていました。

躁鬱病診断経過に関することは、ここまでです。

次に、2012 年 9 月に入院するまでの経過について書きます。
2005 年より前だと思います。
風邪を引いた後の咳き込みがなかなか止まず、昭医を受診し
「喘息」と診断を 受けました。
主な治療は、ステロイド剤の吸引です。
2012 年中頃から次第に食欲が落ち、呼吸が苦しくなります。
同年 7 月に呼吸が苦しくなった感じを昭医で伝えますが、
その時は特別な対応ありませんでした。
次の診察は 2 ヶ月後の 9 月でしたが、息苦しさで強い異常を感じた為、
予約外でしたが翌月 8 月に 受診しました。
その時は、ステロイド剤だったと記憶していますが点滴で終わりでした。
その後も、体調は悪化するばかりで息苦しさで辛さが増すばかりでした。
その為、鬱の治療は当時居住の大田区から遠いA病院への通院を諦め、
近くのTクリニックを受診したことは先に書きました。

9 月予約の昭医受診日は、息苦しさなどで歩いて病院に行けなかった為、
タクシーで昭医へ行き、そのまま入院となりました。
病名は先に書いた「拡張型心筋症」でした。

何故、即日入院となる程、悪化するまで対応が取れなかったのでしょうか?

そのことは残念ですが、大きい疑念は 9 月 7 日の入院以後「喘息」
治療のステロイド剤の吸引が 無くなったことです。
5年を越える治療は何だったのでしょうか?
誤診で治療を継続していたのでしょうか?

ステロイド剤は、心臓に負担を与えると聞きます。
長い、ステロイド剤の利用が「拡張型心筋症」を誘発したのではないかと
疑念を持っていますが、 一連の説明は受けていません。

次の、疑問は同年 9 月末、担当の古山医師が唐突に
「退院か外泊をするように」と求めた退院指示です。

9 月初めの来院時は呼吸が苦しいため歩行が困難でしたが、
筋力的に問題はありませんでした。
しかし何故か、入院中に呼吸は楽になったものの、ふらつきが強く
歩けなくなっており、トイレにも車椅子で 移動する状態でした。
あの状態で家に戻っても、どのように生活して良いかわからず、
困惑するばかりでした。
家に帰ったあとの不安についてのアドバイスも無く、
放り出される様でショックでした。

古山医師は、きちんとしたリハビリ施設があるのに、
何故回復の治療をしなかったのでしょうか?
何故あのような形で、退院を求めたのでしょうか?

病院を出る10 月 1 日に下の階で、歩くことも出来ずしゃがみこんでいた所、
見かねたのか看護婦が 「その様子じゃ、出掛けられないよ」と声を掛けてくれ、
入院階に伝え車椅子を用意してタクシーまで移動した程です。
実際、家での生活は足がもつれ、色々と大変でした。
その精神的な面が原因か、病院から出された多量の薬を飲み続けたのが
原因か分かりませんが 2日後の 10 月 3 日に意識が怪しくなり
病院に戻ることになります。
病院に戻った 10 月 3 日に家内は、精神科の岡島医師に、10 月 1 日は

歩行が困難であったことから 自宅に帰るか、入院を続けた方がいいか、
何度も病院のスタッフとやり取りした後、帰ったこと、自宅での生活が
大変であったことを伝えました。
さらに病院を出る時に大量に渡された薬は何だったかと聞きましたが、
同医師は黙って答えなかったとのことです。

どうして、薬の内容を説明しなかったのでしょうか?

翌年の2013 年2 月に転院した、M共立病院では、退院1 ヶ月程前に
その話が出ました。
その時、退院後、家での生活面での心配なことは何かと尋ね、
アドバイスや情報を頂き、更に可能な限りサポートして頂いたと
感じています。
それに比べると、昭医の対応は放り出される印象があり、
患者に寄り添っている感じがしません。

次に、2012 年10 月3 日の再入院以降の疑問です。
再入院後、せん妄状態の時に長期間高熱が続いたと家内から聞いています。
原因は何でしょうか?
また、高熱は小脳障害と関連があるのでしょうか?
長い間疑問に思っています。

10 月3 日から11 月の初めまでのほぼ1 ヶ月間は
記憶がありません。
意識がはっきりして、他人との意思の疎通がはかれる様になって
暫くした時、岡島医師は、「震えを押さえる効果」があるとの説明で、
デパゲンRを服用するように言いました。
私は小脳障害の為、微妙な動きが難しく、小さく動かそうとしても
大きく動いてしまいます。
その治療薬との理解で服用しましたが、効果が認められませんでした。
転院先のM共立病院でも継続していましたが、一ヶ月程で処方されなく
なりました。

後日、デパゲンRについて調べると、
「てんかん治療と予防、躁病及び双極性障害の躁状態の治療」とあります。
私には、何一つ当てはまりません。
仮に、双極性障害の治療目的なら、何故そう説明しなかったのでしょうか?

この様な経緯で服用した薬でも薬代を支払わないといけないのでしょうか?
薬は多くの場合副作用があるため、最小限にした方が良いと聞きます。
不要な薬を投薬された気がします。
この事でも、尊大な印象を強くしています。
M共立病院では、薬の内容を正しく説明してくれたので納得して受け入れ、
疑問がある薬は話し合いをして外してもらっていました。

2012 年11 月に意識が戻った時、手が震え、起き上がれず、見たものが揺れ、
ろれつが回らず、食事も取れず、多量に出てくる痰を頻繁に拭きとる
状態でした。
あの時の絶望感は、到底ことばで表現出来ません。
それから後は、まるで別の人の人生を生きているかの様です。
今回の出来事は、私の人生を苦悩に満ちた日々に変えました。
いや、私ばかりではありません。家内の人生も奪っています。
介護と仕事に追われ、蓄えを切り崩しながらの生活で、家内の老後が
不憫で申し訳ない気持ちになります。
家内の両親も嘆き悲しんでいます。
私は友人との交流も途絶えました。

今も、ベッドに縛られているかの様に同じ天井をずっと見続ける生活で、
生きている意味を何度も自分に問い、どうしてこうなったのか、疑問を
抱え続けています。
昭医からM共立病院に転院する前に当時担当だった古山医師は、
「こうなったのは、うちの病院にくる前に多量の薬を飲んでいたのが原因だ」

と私に言いました。
今までの経過から、逆に不信感を募らせました。

長文になりましたが、上に書いたように、多くの疑念が残ったままです。
あれから体調は回復の兆しも現れないばかりか、悪化しています。
まだ、対応が可能な内に疑念を晴らしたいと希望します。
上に書いた疑念に、早めに回答下さい。

2015年9月9日 昭和大学病院から最初の回答

 この度、お手紙いただきましてありがとうございます。

 改めまして、お問合わせいただきました件について下記のとおりご返答申し
上げます。
            記

.蝓璽泪垢僚菠と病名に対する診断について
  精神科の診療については、当初、既往の疾患に対するコントロールを目的
 として、精神科医の介入がはじまりました。
  精神科医の介入に際し、前原様のこれまでのかかりつけ医に病歴を確認して
 おります。


 また、前医の処方内容の確認のため前原様のお薬手帳のコピーを取らせてい
ただいております。
 当院入院の当初は、急なお薬の変更によって体調に変調をきたさないよう、
 前医の診断と処方を継続しておりました。
 その後は状態に応じて、容量の増減や薬の変更を行っております。
 よって、入院当初のりーマスの処方と精神科の診療の根拠となる診断は、
 前医からの引継ぎとなります。


⊇朶調鐺皺兵栖気凌巴濃期について
  循環器内科にご入院する前直近の検査データでは、心疾患に関する数値は
 異常値ではありませんでした。
  同検査データは、入院が決定したときに大きく変化しているため、この間に
 急激に体調が変化したり)であると考えております。


9月末に退院か外泊を迫ったとの件について
  9月末時点では循環器内科疾患については一定の安定状況にあり、、急性期病
 院(当院)からは退院(転院)いただける状況にありました。
  しかしながら、精神科に関する点とリハビリの点の課題が残っていたため、
 次の両方を診ることのできる医療機関への転院に繋げるための試験的な外泊
 を手配していました。


こ闇餮紊虜篤院と容態の変化について
  この点につきましては、お手続きいただいている医薬品の副作用によるもの
 であると考えております。
  当院としては、前医から継続して、当院でも処方していた医薬品等々の成分
 が蓄積されたことなどから副作用として発症したものと考えております。


以上、取り急ぎご返答申し上げます。

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